開く両手



あの頃俺は、この両手が誰かの支えになれるだなんてこと、考えもしなかった。







「沖田隊長!」
「どうしたんでさァ」

屯所の部屋で何をすることもなく、ぼんやりと座り込んでいた沖田は、山崎の声に嬉しそうに立ち上がった。
開けっ放しになった障子から山崎が顔を覗かせると、沖田の表情が明るく染まる。

「土方さんがちょっと来いって」
「あー……枕元に爆竹仕掛けたののバレたんですかねィ」
「それ気付かない方がおかしいですって」

しかし、山崎の用事にあからさまに不機嫌になってしまった沖田に、山崎が呆れたように呟けば、沖田は、

「それもそうですねィ」

と悪戯っぽく笑った。

「たっぷり絞られてきまさァ」
「いってらっしゃい」

沖田は、ひらひらと小さく山崎に手を振り、土方の下へと走っていった。
沖田が見えなくなったと同時に、山崎は小さく溜め息を吐く。

「どうした山崎」
「局長……」
「何か悩みでもあるのか?」
「人生って、上手くいかないことばかりですね……」

ますます深い溜め息と、何かを悟りきったような表情を浮かべ、山崎はとぼとぼと歩いていった。
春の訪れを告げる風が屯所の庭を一吹き、草木が気持ち良さそうに揺れている。
春の陽気に頭がやられてしまったのではないか、と心配する近藤をよそに山崎はもう一度溜め息を吐いた。

「何だ、あいつァ」

勿論そんな山崎に、近藤の呟きが耳に届くはずもない。

「何か用ですかィ?」
「自分が一番わかってるだろうが!」
「あーはいはい、爆竹くらい大目に見てくだせェよ」
「あのな……こっちは火花で火傷しそうになってんだよ!」
「そんなのアロエでもつけときゃ治りまさァ」
「痕でも残ったらどうしてくれるんだ!」
「土方さんなら傷物でも誰か引き取ってくれやすぜ」
「何の話だ、何の」
「あ、山崎ィ!」
「話を聞けェェェェ!」

沖田が土方の部屋に入った途端、土方は待ち構えていたかのように、沖田を案の定たっぷりと絞る。
土方の説教を聞いているようなふりをしつつ、沖田は適当に返事を返し、時間が過ぎるのを待っていた。
ふいに外を通った山崎に沖田が手を振るが、山崎は、沖田の姿を一瞥すると、ふいっとすぐに目を反らし、走り去ってしまった。

「お前、山崎と何かあったのか?」
「いや、何も」
「そう……」

土方は小さくなった山崎の後ろ姿を見つめる沖田に、声を掛けようとして、やめた。
あまりに切なそうな視線が、遠くを刺して、揺れた。
説教を続けるきっかけをなくした土方は、そんな沖田の姿を心配そうに見つめるしかなかった。





その日は、酷く雨の降る夜だった。
屯所の中は、所々雨漏りし出し、窓の外を見やれば、一寸先すら雨のせいでよく見えない。
こういう夜こそ、悪党が幅を利かすものだ。
腹の中こそ綺麗ではないが、一応悪党を裁く立場に居る土方と沖田は、連れ立って夜の見回りに出た。

「総悟ォ」
「何ですかィ?」
「お前、山崎のこと好きなんだな」
「バレてやしたか」
「そりゃ、あんだけあからさまならなァ」

それは山崎にも言えることだが、と土方は心の中で思う。

「アイツ、何も考えてなさそうな癖して、周りの人を幸せにするだろィ?」
「あぁ、そうだな」

くしゅ、と小さなくしゃみをして、沖田は続ける。

「俺は、不幸にするばっかりだから、羨ましいんですかねィ」
「お前のは、不幸ってより犯罪すれすれだよ」
「土方さん」
「あァ、わかってる」

突然、辺りの空気が変わったのがわかる。
二人は、暗闇で小さく目配せすると、刀に手をかけた。
いつも相手にしているごろつき共とは、明らかに違う空気。
確かに背中を撫ぜる殺意に、沖田は小さく身震いをした。

「土方さん、まだ行っちゃいけやせんか?」
「もう少し、待て」

沖田の脳裏に、山崎の顔がちらりと浮かぶ。
今、この場を確かに楽しんでいる自分が居る。
だって、そうだろィ?
俺は物心ついた時から剣を持ってて。
きっとこの先も、この剣は血を吸い続けるだろう。
俺はそれでもこの手を離せねェんだろう。
帰る場所は同じでも、所詮生きる道が違うのだ。
逸る気持ちが沖田を急かす。
浮かんだ顔が、どんどん遠くなってゆく。
空気の持ち主を筆頭に、その後ろの何人もの浪人たちが土方と沖田を睨みつけた。

「お前らのせいで、妻は天人に殺されたんだぞ」
「敵討ちなら、やめておけ」
「政府の犬が何言ってやがる」
「総悟、行くぞ」
「わかりやした」

一斉に襲い掛かってくる相手を素早くかわし、一心不乱に剣を振る。
飛び散る返り血を浴びて、また、誰かを不幸にするために、剣を振る。
キィン、と金属のぶつかり合う音がした。
漂う血の臭いに、沖田は舌なめずりをした。
自分は、汚れきっている。
強い雨は、止むことも知らずに冷え切った身体を尚も打ち続ける。
あわよくば、自分の汚れもこのまま流れてしまえば良いのに、と祈りながらまた、血を浴びる。
空気の持ち主は、冷たい目で沖田を睨みつけた。
一対一になり、向かい合うと沖田の背筋を恐怖が走り抜けた。

「何で、アンタほどの腕の持ち主が敵討ちなんか」
「妻を失ったときから、俺の人生など終わったも同然だ」
「今なら、まだ間に合いまさァ。敵討ちなんてきっと奥さんは望んでやせんぜ」
「お前に、愛する者を失った俺の気持ちがわかるのか?」

浪人の言葉が沖田の胸を刺し、ギロリ、と浪人の目つきが変わる。
久々に出会う、悪意以外の感情を持たない瞳。

「アンタみてェに、恐怖を持ってないやつが一番やっかいでさァ」
「言っただろう? 俺の人生など終わったも同然だ、と」

しかしそれは、一瞬の出来事だった。
喋り終わった途端、向かってきた浪人の刀を交わし、沖田は浪人の身体に鋭い太刀を振り下ろす。
大量の血を噴き出し、倒れゆく浪人を、冷たい目で見つめていた。
胸が、きりきりと軋んだ。
浪人の目は、最期まで冷たく濁って沖田を睨みつけていた。

「心配することの程でもなかったな」
「俺たちは、何のために居るんでしょうね」
「総悟……?」

積み重ねられた死体の山を前に、沖田は泣き出しそうな声で呟いた。
細い肩が小刻みに揺れる。
震える声が、小さく零れる。

「やっぱり俺は、誰かを不幸にしてばっかりでさァ」
「オイ! ちょっと待てって!」

沖田は、無理矢理に作ったような笑顔を土方に向けて、その場を立ち去った。
土方の制止を振り切り、振り返ることもなくただ、走り続ける。
雨は無情にも、降り続けていた。
唇に触れた水滴からは塩っ辛い味がした。
愛しい人の顔が浮かんでは、また、消えた。

「俺だって、同じだよ」

頬に飛んだ血を手で拭い、土方は一人言ちる。
一人きりで屯所に帰るには、遠すぎる道だった。






コンコン、と小さく襖を叩く音がし、山崎はゆっくりと襖を開いた。
すると顔を現したのは、身体中を雨と血で汚し、普段の姿からは想像もできないようないでたちをした沖田だった。

「沖田……隊長?」
「起きてたんですねィ」
「どうしたんですか? その格好」
「人を……不幸にしてきたんでさァ」
「え……?」

勿論、山崎が沖田たちの仕事の内容を知らないはずがない。
しかし、仕事後とは言え、こうやって目の当たりにするのは初めてで。
微かに、山崎の目に恐怖の色が浮かぶ。
沖田はそれを知ってか知らずか、ようやく止まった涙を堪えるように喋り続ける。

「もう、わかんねェんでさァ」
「沖田隊長?」
「自分に人の命を裁く権利があるなんて、到底思えねェ」

確かに、血の臭いには心が騒ぐけれど。
剣を振ることだけが、唯一自分を保てる行為なのだけど。
自分は何のために、この手に剣を持っているのだろう。
自分は何故、ここに居るのだろう。

「土方さんは、ちゃんと割り切れてて羨ましいんですけどねィ」

沖田の言葉にぴくり、と山崎の身体が小さく反応した。
いつからだっただろう。
沖田の口から土方の名が出るたびに、壊れそうなほどに胸が軋むようになったのは。
無意識のうちに、土方と自分を較べるようになったのは。

「山崎ィ、今日だけ胸貸してくれ……」
「沖田隊長、俺は……副長の代わりじゃありません」

沖田の瞳孔が開く。
その瞳はまるで、土方の瞳みたいだと山崎は思った。
そして、その目にうっすらと浮かぶ涙に、山崎はようやく言ってはならないことを言ってしまったことに、気付く。

「沖田隊……」
「夜遅くに、悪かったですねィ」

薄い笑顔を向けて、沖田は山崎に背を向けた。
小刻みに揺れる薄い沖田の肩に、山崎は手をかけようとして、やめた。
土方の顔が、何度も脳裏に浮かんでは、消える。
それは、ずっと心の隅に引っかかっていたことだった。
沖田への気持ちが大きくなってゆくにつれ、山崎の心を浸蝕するもう一つの気持ち。
自分では、沖田に不釣合いではないのか。
土方のほうが、相応しいに決まってる。
いざという時、きっと自分は沖田を守れない。

「沖田隊長……!」

それでも守りたかった。
支えになりたかった。
ずっと。
ずっと。
否、今だけでもいいのだ。
山崎の声に反応しつつも、こっちを向こうとしない沖田を、山崎は強引に抱き寄せた。
震える手が、沖田の背中で交差する。
肩に乗せられた沖田の顔から、暖かい染みが広がってゆく。

「やま……」
「すいません。俺、最低ですね」

選んで、くれたのに。

「そんなこと、ないでさァ」

震える沖田の手が、ゆっくりと山崎の背中に回る。
沖田の雨に濡れて冷たい身体をどうにか暖めたくて、山崎は必死に抱き締め続けた。
がむしゃらになっているうちに、涙が零れた。
こんな小さな身体に、人の生き死にを背負っているのだ。

「服、汚れちまいやすぜ?」
「そんなこと、どうだっていいんです」
「山崎……」

山崎は恐る恐る沖田の頬に触れ、ぎこちない仕草で沖田の唇に、自分の唇を重ねる。
後で沖田に、散々山崎らしいや、とからかわれるそれに、言葉にできない全ての想いを詰めて。

「俺でいいんですか?」
「そんな野暮なこと、聞くもんじゃありやせんぜ」

震える手で、もう一度細い身体を抱き締めた。
今度はすぐに、沖田の腕が山崎の背に回る。
この感触を、一生忘れまいと心に誓った。
命を投げてでも守りたいと思った。
求められるという感覚は、くすぐったくとも堪らなく幸せなものだった。





「土方さん、山崎知りやせん?」
「さァな」
「それならいいんでさァ」
「あ、オイ総悟ォ」

土方は、辺りをキョロキョロと見回し、視線の往復に忙しそうな沖田を呼び止める。
先日の雨が嘘のように、晴れ渡る空。

「何ですかィ?」

眩しい太陽以上に機嫌よく笑う沖田が振り返れば、幸せそうなその顔に、土方は安心したように小さく笑った。

「何でもねェよ」
「頭でも沸きやしたか?」
「お前な……」
「んじゃ、そろそろ行きまさァ」
「あぁ」

土方は、自分に背を向けて歩き出した沖田を見つめ、一つ溜め息を吐いた。

「お前は凄いよ」

そして、手のかかる息子を手放したような感覚に苦笑して、心の中で山崎に賛辞の言葉を贈った。




「沖田隊長!」
「ちょうど探してた所でさァ」
「俺もです」

二人は、にこりと笑い合うと、並んで歩き出した。
庭に生える草木が、雨粒を反射してきらきらと輝いている。
ぬかるんだ地面も、そろそろ完全に乾くだろう。

「俺にこんな労力使わせる奴ァなかなか居やせんぜ?」
「ハハハ、光栄ですよ」
「で、どうしたんですかィ?」
「沖田隊長こそ」
「俺は……」

沖田が言葉を詰まらせるように黙り込むと、山崎が代弁するように口を開く。

「ただ、会いたくなっただけでさァ。って、言ったら怒ります?」

悪戯な笑みを浮かべ、山崎が沖田の顔を覗き込めば、真っ黒な笑顔で沖田が言い返す。

「切腹、ですかねィ」
「なっ……そんなっ!」
「安心しろィ。ちゃんと介錯してやりまさァ」
「そういう問題じゃなくて!」

求められていると感じることは、なんて幸せなことだろう。
この手が誰かの支えになれるなんて、思いもしなかったというのに。
山崎は幸せを確認するように、立ち止まって自分の両手を見つめると、歩き続ける沖田の後を追いかけた。








+++++++++

結構前に書いて放置してたのをちょっと前に推敲したもの。
山沖はどうしても土方さんにコンプレックスを抱いてしまうさがるくんと、さがるくんの真っ直ぐなとことかに引け目を感じてしまう沖田さんが好き。






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