ジョバイロ

先生を想って光る星は、消える気配もないまま、俺の中で息づいている。
不相応なこの気持ちは、誰かが気付いてしまうのを待っているかのように、瞬きを繰り返しては俺を困らせる。
こんな恋愛感情なんかに、怯え戸惑う俺を、哀れで滑稽だと思うなら笑えばいい、同情でも何でもすればいい。
いつかは、押し潰されて燃え尽きてしまうのだろう。
知ってる。
全部、わかっている。
それでもどうして、この灯を消すことが出来ようか。

 


「沖田君、今日十時ね」
「へーい」

少なくても週四回は、先生とプライベートで会っている。
逢瀬は先生の気まぐれで学校だったり、先生の家だったりするけれど、いつだってすることは一つだということに変わりはない。
きっかけは、些細なことだった。
先生と、セックスする夢を見た。
今思えば、そうなることを心の奥で望んでいたからこそ、そんな夢を見たのかもしれないけれど。
その時は違った。
淡く、幼かった想いは、欲望を帯びた生臭いものに変わり、初めて実感した自分の中の想いに、俺は戸惑った。
しかも、夢の中の先生が与えてくれた、味わったこともないような快感が、淋しい俺の心を見抜くかのように探り当てるものだから堪らない。
一瞬で、打ちのめされてしまった。
一瞬で、見透かされてしまった。
先生、何でわかんの?
何で知ってんの?
先生、すき。
先生、さみしい。
だから、現実でも俺のこと、抱き締めて探り当てて下せェ。
ただ、先生の温もりが知りたかった。
一つになれば、全てが上手くゆくと思った。
先生が欲しい、俺。
欲を持て余す、先生。
度重なる探り合いと応酬の末、需要と供給は一致した。
先生は、現実でも俺の心を見抜いて、探り当てるものだから、俺は骨抜きになってしまったかのように、ただひたすらに先生を求めた。
だけど、中途半端な関係は、ただ一人で先生を思っていた頃より何倍もつらい。

 

 

 

白衣を着たまま先生に抱かれると、いつもよりぞくぞくする。
むせ返るような熱気に包まれた国語準備室で、ただ先生の机から背中に伝わるひんやりとした感触だけが、俺の理性を繋ぐ唯一の術となる。
無理矢理に組み敷かれ、乱暴に扱われても、それが先生ならば全ての屈辱は快感に変わる。
こんな感情は、正気の沙汰じゃない。
わかっている、わかってはいるけれど、先生の全てに身体が反応してしまうのだ。

「ん……っ、くっ、は……ァ、もっとォ……」
「沖田君、その声素晴らしいんだけどさァ、ここ学校だから」


耳元で先生に囁かれ、身体が痙攣するのと同時に慌てて口を手で塞ぐ。
すると先生は、俺の手を掴んで机に押し付けると、唇で俺の声を妨げる。
絡まる舌に更に身体は熱くなる。
背中に伝わる感触なんか、もう意味ない。
飛びそうな理性の中、夢中で舌を絡めて、先生の背中にしがみつく。
互いの吐息が混ざり合うせいで、部屋の温度が、上がっている気がした。

「せんせ……。も、無理……でさ……ァ」

どれだけ媚びるような声を出したって、縋るような目つきで見つめたって。
先生は俺を見ない。
決して、見ない。
瞳に俺を映しても、心できっと別のものを見てるんだろう。
先生の頭の中で、俺はどんな顔してる?
真ん中陣取ってて欲しいなんて言わない。
心の隅っこでいい。
俺のこと引っ掛けといて、そんで時々思い出して下せェ。

 

 

 


「文化祭での演目はロミオとジュリエットでいいですか?」

司会進行を任された学級委員が生徒達に問い掛けると、まばらな返事と拍手が返される。
高校生活最後の学園祭だというのに、クラスは最後だからと張り切る生徒と、受験が近いのにやってられるかという生徒に真っ二つに割れていた。
圧倒的に後者である俺は、窓の外を見つめるふりをして、ガラスに映った先生を見つめていた。
最後だから、と張り切る生徒たちの手によって、配役は次々と決定されたが、肝心の主役二人が決まらない。
ちら、と教室内に視線を戻すと、土方さんと志村(姉)が必死に断っているのが見える。
ツラがいいのも困りモンだねィ、と俺は心の中で両親に感謝する。
自分の顔は贔屓目に見ても悪くないとは思うが、どう考えても主役を務められるようなツラじゃない。
ってかそんなキャラでもねーし。

「オイ、三限あと十分で終わりだぞ。まだ決まんねーの?」

先生のやる気のない声が室内に響くと、まだでーす、と土方さんと志村(姉)を説得している生徒のうちの一人が返事をする。

「お願い! 土方くんと志村さんしか居ないの!」

迷惑そうな二人に必死に懇願する女子生徒二人は、どこか滑稽に見えた。
許されざる恋に落ちてしまう二人の役が、極度のマヨラーとブラコンしか居ないと言われてしまえば、シェイクスピアもきっと天国で嘆くに違いない。

「先生ちょっと煙草吸いたくなってきちゃったからさァ、さっさと決めてくんない?」

女子生徒から口々にさいてーという声が上がる中、俺は先生らしいや、と一人でくくくと笑う。
好きだなァ、こういうトコ、なんて無意識に思っちまって一人で勝手に照れる。
しかし残り五分を切ったというのに決まらない配役に、業を煮やした先生が教卓の前に立つと、教室内は一瞬でしん、と静寂に包まれた。

「このままじゃいつまで経っても決まんねーだろ。沖田と神楽、お前らやれ。はァい、これで3限終わり」

頬杖をついていた腕が、がくっと机から滑り落ちた。
坂田の下した采配に、しんとしていたはずの室内は一気に騒がしくなる。
それも当然で、俺がイベントごとにやる気がないのは、周知の事実のようなものだし。
チャイナ娘に至っては気持ちよさそうに眠っていて、自分がジュリエットになったことにすら気付いていない。

「文句は受け付けません。沖田君、やってくれるでしょ?」

先生が、意味深な表情で俺に目配せをする。
それを受け取ってしまったら、頭で考えるより先に、首が縦に動いていた。
先生に弱すぎる自分に、心のそこから自己嫌悪する。
先生の意図が見えない。
ドSと大食いチャイナ娘が許されざる恋に落ちるだなんて、俺がシェイクスピアなら、天国から降りてきて劇を中止させてやる。
それでも、俺と先生よりかは、幾分マシなのかもしれないけど。
文化祭責任者の小さな溜め息が、視界の隅っこに見えた。

 

 

 


「先生、どういうつもりなんですかィ?」
「何が?」

俺は、頭をタオルでがしがしと拭きながら、ベッドに寝転んで煙草を吸ってる先生に訊ねる。
先生の部屋は、生活感が無いくせに、砂糖と煙草の入り混じった独特の匂いのせいで、ここに先生が住んでいる、ということが確かに感じられる。
気付いているのかいないのか、しらばっくれるような先生の態度が、いっそう俺の苛立ちを募らせた。

「劇の配役以外に何があるんでさァ」
「あァ、俺が見たいから。そんだけ」
「な……っ! じゃあ何で相手がチャイナなんでィ」
「だってずっと寝てたじゃん」
「くだらね……何ですかィ、その理由」
「沖田君もさァ、彼女とか作んねーの? や、俺的には今のままのが有り難てーんだけどね」
「興味ありやせん」
「イヤ、でもそろそろ女の子のやーらかさってのを知った方がいいんじゃねーの? 神楽がどう、とかじゃなくて」
「知ってまさァ、そんくらい」
「何、知ってんの? あァ、ツラだけ見て寄ってくる女も居るか」
「どういう意味ですかィ?」

先生の言葉がぐさぐさと心に刺さり、息が上手く出来なくなる。
涙を流してしまえば終わりだ、と言い聞かせ、俺はごくりと唾を飲み込んだ。

「だって、沖田君のドSについていける女なんてそうそういないでしょ」
「俺だって、先生に会うまでは普通に……」

普通に……?
忘れてしまった。
先生と会う前の恋なんて。
先生と会う前の想いなんて。
俺は一体、先生を好きになるまでの十八年、どうやって生きてきたのだろう。
何を想い、何を感じていたのだろう。

「何でもありやせん」
「気になんじゃねーか。何?」
「どーせ、言ったら笑うでしょ」
「笑わねーって」
「絶対笑いまさァ」

ムキになるたびに、心はずきずきと傷ついて先生の何もかもを見透かしているような表情に、心の底から服従したくなる。
俺の心の中に混在する、嗜虐と被虐、満たせるのきっと先生だけだからさァ。
脱ぎ散らかしてあったYシャツと学ランを羽織り、ベッドに腰をかけたら、先生は俺に後ろから抱きつくと、俺の耳に唇を寄せた。
たったそれだけで、俺の身体はぞくぞくと震えて、どうしようもなくて、振り向いて先生の唇に貪るように吸い付く。
舌を絡め、ベッドに倒れこむと、肌蹴た学ランとYシャツの隙間から、先生の手が入ってくる。
冷ましたばかりの身体はすぐに熱くなり、高鳴る鼓動が先生に聞こえていないことを、俺はただ祈るしかない。

「何て言おうとした?」

先生の問い掛けに、少し躊躇ったけれど、思い切って言葉を発する。

「何か言おうとしたら、先生に会う前の自分が思い出せなかった」
「あァ。そ」

素っ気無い態度に、涙がにじむ。
先生は、俺の反応を楽しんでいるような気もしたけれど、俺のことなんてどうでもいいようにも思えた。
結局また、汗をかいてしまった身体にぬるめのシャワーをあてながら、俺は少しだけ泣いた。

 

 


「沖田君、これ目を通しておいてね」

文化祭の実行委員から渡された分厚い脚本に、俺を指名した先生を心の中でこっそりと恨む。
同じように脚本を渡されたチャイナ娘も、大声で先生の悪口を言っているのが視界の隅っこに見えた。
俺は、未だに昨日の先生の素っ気無い言葉が心に引っかかっていて、それは上手く取れない先生への態度にもはっきりと表れる。

「沖田君、どしたの? 何か今日おかしくない?」
「別に……」

他生徒の目を盗み、かけてくれる優しい言葉が、俺の心を打ち震わせる。
こういうとこがたまんなく好きで、だけど嫌いで。
何度も、こんな優しさに諦めることを踏みとどまされた。
いっそのこと、嫌ってくれればいいのに。
俺のことなんて構わないで、嫌ってくれればいい。
誰かのために死んでもいいくらいの想いを、先生と出会って初めて知ったのに。
想いはいつだって、先生の居ないところで育ってゆく。
独りよがりに、勝手に大きくなる想いは、俺の心を締め付け、そして俺をどんどん追い詰め、戻れなくする。
このままじゃきっと、熟して落ちて、枯れてしまうだけだろう。
こうなる前に、嫌ってくれれば良かった。
根こそぎ、摘んでくれれば良かった。

「気分悪りィんで、今日は帰りまさァ」

視線が絡むと、背筋に電流が走ったかのようにぞくぞく震えた。
いくら素っ気無い態度を取ってみたって、素っ気無い態度しか取れなくたって。
俺の目はきっと、悲しいほどに先生を好きだと言っているのだろう。
それが先生にばれている限り、俺はどう足掻いたって先生には届かない。
何かを振り切るように家へ帰り、すぐにベッドへ倒れこむ。
真っ暗な部屋が、涙を隠してくれているように、思えた。

 

 


文化祭の練習が始まると、学校と部活の繰り返しだった俺の生活は一変し、俄然忙しくなった。
俺が避けているせいか、あの日を境に先生とプライベートで会うことはなくなり、会えない夜を数える度に、心は冷えて固まってしまう。

「俺ァ、来るものは拒まねーが、去るものは追わねーよ」

初めて身体を重ねたとき、言い聞かされた言葉が今更頭に蘇る。
追われたいわけではないのだ、きっと。
しかし、少し避けただけで、何も言ってこない先生に、少しだけ大人のずるさを感じてもいる。
追われたいわけではない。
だけど、このまま追い続けているのもつらい。
先生が何を考えているのかはさっぱりわからないけれど、俺と、想いを育ててゆく気がないことだけはわかる。
欲しいものは見返りなのだろうけれど、それもやっぱり少し違う気もする。
自分のことすら、よくわからない。
先生と上手く喋れない。
日々の生活の全てだった先生を失い、ひたすらに想うことしか出来なくなった俺は、自分が弱っていくのをはっきりと感じた。
そしてそれが、堪らなく情けないと思った。
思えば、いつだって振り回されてばかりだ。
俺はこんなに弱くない。
認めたくない。
先生にさわれないってだけで、何も手につかない、ロクに眠れない、食欲だってない。
こんなのが、自分であっていいはずがない。
先生を好きでいたって、何もいいことなどありはしないではないか。
しかし、それでも想いを消せやしないことなど、自分が一番よくわかっている。

「なんて、不毛な恋をしたんですかねェ」
「沖田君! それ凄い良かった!」

能天気な文化祭委員に、少しだけ救われた。

 

 

 


忙しさに追われているうちに、あっという間に文化祭当日はやってきた。
衣装係が張り切って作ったらしい白い、フリルのついた悪趣味なシャツに袖を通し、黒いスラックスを履いたら、何だか自分が自分でないような気がした。

「これ、重いアル!」
「オイオイ、孫にも衣装じゃねーか」

どこから用意したのか、レースをふんだんにあしらったクリーム色のドレスに身を包んだチャイナ娘を褒める先生に、ぷつりと心の中で何かが切れる。
昨日から、熱が下がらない。
熱くて重い頭に思い浮かぶことは、全てマイナス方面に考えが到達してゆき、俺の荒んだ心を更に乾かせる。
しゃらん、と落ちたチャイナ娘の銀色の王冠を、先生が拾ってご丁寧に付け直してやっていた。
柔らかそうな髪に触れる大きな手。
俺がこの一ヶ月間、欲しくて欲しくて堪らなかった、その手。
チャイナ娘に嫉妬するのは筋違いだとはわかっている。
だけど今は、世界の全てが憎たらしい。
先生の居ない世界全てが憎たらしい。
俺は、緊張と興奮が入り混じったような感覚で生徒たちが騒いでいる中、一人途方に暮れていた。
練習だって必死にした(正確に言うとさせられた、だが)。
がむしゃらに練習をこなしていくうちに、僅かながらも、行事に参加しようという意識も芽生えてきた。
それなのに何故か、台詞を反芻する傍らで、心は先生のことを考えて上の空になっている。

「先生、本番くらいは見に来て下さいよ!」
「だって禁煙だろ? 先生煙草吸わなきゃ死んじゃう病だからさァ」

俺は、先生と文化祭委員のやりとりを上の空のまま、ぼんやり見ていた。
先生は、一度も練習に顔を出さなかった。
俺が、嫌々ながらもおとなしく練習に参加させられていたのは、先生が見に来てくれるかもしれない、という淡い期待があったからで。
しかし俺のそんな淡い期待は、どっかの女子生徒と談笑しながら3Zの教室を過ぎ去った先生の声を聞いたとき、無惨にも砕け散った。

「先生ひどーい! ほら、沖田君も何か言ってよ」
「えっ?」

遠くから急に話を振られ、驚いている俺を、先生は微妙な表情で俺を見る。
久しぶりにかち合った視線に、身体の奥が軽く疼く。

「先生」

ゆっくりと近付いて呟いたら、胸が締め付けられて死にそうになる。
劇も、周りの目も、似合わない衣装も、全て捨てて先生に抱きつきたい衝動に駆られて、俺は強く強く拳を握った。
先生、と呟いたきり何も言わない俺を、文化祭委員が訝しげに見る。

「柄にもなく、緊張してんだろ」

ぽん、と俺の頭を撫でて、立ち去ろうとした先生の腕を掴む。
ずるい。
それは、ずるい。
たとえ少しの間、喋らなくたって、触らなくったって、やっぱ、先生は先生のまんまで好きすぎて死にたくなってしまう。
俺がそれに弱いの知ってるくせに。
どうして今、頭なんか撫でんの。

「見に来てくんなきゃ、先生に犯されたって言って退学してやる」

最低最悪な脅迫を先生の耳元につきつけて、俺は先生の腕を離す。
触れた掌が、熱くてじんじんと痛む。
この熱はきっと、ウイルスのせいじゃない。
アンタのせいだよ、先生。

「行きゃいんだろ。行けば」
「沖田君、凄い! ねぇ、何て言ったの?」
「ひみつ」

俺は、汗ばんだ掌をスラックスで拭い、先生を睨んだ。

「やっぱ、沖田君はこうじゃねーと」

先生は、そう言って去り際に俺の頭を今度はしっかりと撫でた。
ずきずきと締め付けるような頭の痛みが、少し和らいだような気がした。

「おい、お前……」

振り返り、背中に声をぶつける先生を無視して、俺は練習の輪の中に加わる。
熱さと寒さが身体の中に入り混じって、上手く働かない頭に意識が朦朧とする。
本番前の高揚で、誰も俺の異変には気付いていないようだった。
ただ一人、先生を除いては。

 

 

 

「三年Z組、そろそろ出番です」

文化祭委員の誰かがZ組の出番を告げると、控え室内は波打ったように静かになった。
大丈夫、うまくいく、と女子たちが互いに励ましあっている。
俺は未だに自分の役に納得してなさそうなチャイナ娘を横目で見ながら、小さく溜め息を吐いた。
嫌々ジュリエットにならされた挙句、相手が俺だなんてチャイナ娘も気の毒だが、これから更に迷惑をかけることになるだろう。
俺は、この劇で賭けに出るつもりだった。
何のために、と問われても、上手く答えることは出来ない。
それは、先生を振り向かせるため、とも諦めるため、とも言えた。
ただ、そういえば先生に気持ちを告げたことはなかった、と気付いて、言葉にしたいと思った。
堕としてやる、とも思うし、これでやっと諦められる、とも思う。
気付いて欲しいとも、気付いてくれるとも、気付かないで欲しいとも、気付いてはくれないとも思う。
俺には、先生の本心は良くわからないけれど、淡い気持ちを抱いてた昔も、身体重ねてからの今も。
ただ、先生のこと好きだってことは、変わらず俺の本心だから。
どんな形であれ、決着がついて欲しい。
この俺が、イベントごとに便乗するなんて、どうかしている。
土方さんにでもバレたら、ついに焼きが回ったか、と笑われるかもしれない。
だけど今は、それすら自分らしいと思えた。
きっと恋愛感情なんてものは、人の頭をおかしくするように出来ているのだ。
俺は、誰にもばれないように解熱剤と水を一気に飲み干し、大きく深呼吸をした。
控え室から舞台の裏に移動し、3Zの出番を待つ。
味わったことのない種類の緊張感と、熱と、これからの賭けのことを思うと、口から心臓が飛び出しそうだった。

 

 


「次は、三年Z組で、ロミオとジュリエットです」

拍手とともに幕が開け、劇は、俺の決意も知らずに淡々と進んでゆく。
ダンスシーンで一度だけ転びそうになったこと以外は、きっと失敗もなく出来た。
先生は、まだ客席には見当たらない。

「坂田先生は?」
「さぁ? 本番始まってからは見てねーけど」

忙しそうに動き回る大道具の担当を呼び止めて訊ねてみたけれど、期待していた答えは得られなかった。

「沖田、次の場面出番じゃねェ?」
「あ、本当だ」

ちらり、と舞台を見た大道具の担当の言葉に、俺も舞台を覗き込む。
舞台には、いつの間にか大きな城のセットが組まれている。
そういえば、間に合わないかもしれない、と文化祭委員が半泣きになっていたのを見た気がしたけれど、城は立派に出来上がっていた。

「ってか、次見せ場でィ」
「あー、おぉロミオ! ってヤツ?」
「そうそうそれ」

他愛も無い話をしているうちにも、刻一刻と出番は近付いてくる。
あまりの緊張に、心臓の音がばくばくと響いて吐きそうになる。
客席に、先生が居ますように。
上手く伝えられますように。

「じゃあ行ってくらァ」
「おう、頑張れよ」

心臓の音が収まらないままステージに出ると、急いで城のセットへ向かう。
恐る恐る客席を見ても、先生はどこにも見当たらなかった。
言葉に詰まり、脚はがくがくと震えた。
放心した頭の隅に、チャイナ娘の独白が聞こえる。
おぉロミオ! と叫ぶチャイナ娘は、なかなか艶っぽくはあったけれど、今はそんなことを考えている余裕すらなかった。
これが終わったら立ち上がらなければ。
想いを紡がなければ。
でも、客席に先生は居ない。
いくら想いを紡いだって、本人が居なければ意味はない。
全ての言葉や想いが無駄になったような気がして、俺はほとんど無意識のまま、台詞を紡ぎ出した。

「ジュリエット、どうかお顔を見せて下せェ」
「ロミオ! どうしてこんなところに居るアルか? もし家の者に見つかってしまったら、死んでしまうアルヨ」
「アンタの愛なしに命長らえるくれェなら、今ここで死んだ方がマシなんでさァ」
「親の敵を好きになってしまうなんて、私も落ちぶれたものネ。ロミオ、お前愛の証に改名するアルヨ。そうしたら私も名前なんか捨ててやるネ」

相変わらず、恥ずかしいくらいクサい台詞たちだ。
それでも俺は、物語の中の二人が心底羨ましかった。
許されない恋がなんだ。
何が悲恋だ。
思いが通じ合っているだけ、俺よりずっと幸せじゃないか。

「私、あなたと出会う前に戻りたいヨ。時を戻す薬があるなら、今すぐ飲み干してやる」

チャイナ娘の台詞が終わると同時に、客席の扉ががちゃりと開いた。
差し込む光に、一斉に視線が注がれる中、扉の向こうから現れたのは、俺が何よりも誰よりも待ち望んでいた人だった。

「先生」

誰にも聞こえないように、小さく呟く。
それだけで、心はぱぁ、と光を呑み込んだかのように明るくなり、俺に勇気をくれる。
先生はど真ん中の席に腰を降ろすと、ふてぶてしそうにふんぞり返り、脚を組んだ。
真っ直ぐにステージを見つめる先生と視線がかち合えば、背筋がぞくぞくと震えて、もう目が離せなくなる。
声が勝手に想いを紡ぎ出し、いびつな台詞となって静かなステージに零れ出してゆく。

「なんて、不毛な恋をしたんですかねェ。叶わねェ、心に触れることすら出来ねェ」
「オイ、台詞違うアル。ちゃんと続けるネ」

チャイナ娘が小声で咎めるが、俺は無視して喋り続ける。

「いっそ、出会わなければ良かったと、関わらなければ良かったと、何度思ったかしれねェ。何度後悔したかしれねェ」

真っ直ぐに、先生を見た。
俺の暗号、届いてやすか?
先生は、表情を崩すことも俺から目を反らすこともなくて、さっぱり反応がうかがい知れない。
だけどもう、後戻りは出来なかった。
伝えたい言葉たちは、物語を破綻させないよう、俺の中で淘汰されながらそれでも真っ直ぐ響いてゆく。

「けど俺は、アンタと出会わず生きるより、アンタと出会って死にたい。アンタに恋して死にたい」

涙が、ぱたりと零れた。
拭っても拭っても、後から後から零れ落ちてきた。
馬鹿げている。
何がロミオとジュリエットだ。
どうしてこんな役、俺にやらせたの、先生。
俺追い詰めて何がしてェの?
先生は相変わらず、無表情のまま俺を見つめていた。
チャイナ娘が、視線を戻すようにジェスチャーを送っているのが視線の端に見えるけれど、俺は先生から目を離すことが出来なかった。

「アンタの居ない世界なんざ、俺にとっちゃ、ないのも同じなんでさァ」

先生、俺の声はちゃんと届いてます?
届いてねェなら、スピーカー越しに耳元で叫んでやるから、覚悟しときなせェ。
ぴったりとかち合ったまま離れない視線に、心の奥の方から、どんどん熱くなってゆく。

「出会わなかった頃に戻りたい? 馬鹿らしい。たとえ、時を戻す薬があったとて、俺ァ飲みやせんぜ」

声がぶるぶると震える。
自分の想いを伝えたい、ただそれだけのことなのに、どうすれば一番上手く伝わるのかがわからない。
俺の心、そっくりそのまま先生のととっかえっこしてやりたい。
そしたらきっと、あまりの痛さに発狂しまさァ。
ほんとの気持ちを真っ直ぐ伝えるってのは、こんなに怖くて、恥ずかしくて、滑稽なものなんですねィ。
想いを言葉にしてゆくと、段々自分の気持ちが見えてくるような気がした。

「名前や肩書きなんて関係ありやせん。だってアンタと出会う前の俺は、本当の俺じゃなかった」

ぎゅっと下唇を噛んで、唇の震えを無理矢理抑える。
最大級に格好悪いと思いつつも、涙はどうしたって止まらなかった。
俺は、ぐい、とシャツの袖で涙を拭い、なおも言葉を紡ぎ続ける。

「アンタと出会って、本当の自分を知ったんでさァ」

口の中に溜まった唾をごくりと飲み込んで、赤くなっているであろう目で、先生を睨む。

「だから、だから……もっと俺を見て下せェ。心通い合ったままでいられるならば、俺はもう、明日死んだっていいんです」

絞り切るような声で台詞を紡ぐと、もう何も言えなくなる。
想いを伝えきったことで、かろうじて動いていた俺の頭が、ついにオーバーヒートし始める。

「あぁロミオ。そんなに私のことを思ってくれているなんて嬉しいヨ」

チャイナ娘がフォローしようとも、舞台の真ん中に立ちすくむ俺の涙は止まらず、脚や手の震えも止まらない。
様子のおかしい俺に気付いたのか、裏方の生徒達が場面を変えるために慌しく動き始める。
先生から目を反らすと、身体の力は抜け、俺はその場に膝をついた。
くすくすと、観客席から笑い声が聞こえる。
笑いたきゃ笑いなせェ。
格好悪くたっていい。
みっともなくたっていい。
舞台の袖から手招きされたけれど、俺は小さく首を横に振って、もう一度先生を見る。
客席のド真ん中、ふてぶてしそうに座る先生が、少しだけ笑ったような気がして、俺もつられて笑った。
その瞬間、俺の頭は動くのをやめた。
ぱたり、と舞台上に倒れると、フローリングのひんやりとした感触を頬に感じた。

 

 

 

 

 

 

 

「おー、目ェ覚めたか?」

意識が覚醒した途端、認識した信じられない人の声に、俺は思わず起き上がる。
ズキン、と頭が痛むと同時に、見慣れた俺の部屋と、ベッドに腰掛け、勝手に俺のジャンプを読む先生の姿が目に入った。

「まだ熱下がってねーんだから寝とけって。あ、鍵閉まってたから鞄漁って開けさせて貰ったわ。あと、母親は二十時頃に帰ってくるってよ」

俺は、状況が読めないまま、再びベッドに横たわり、ジャンプを読んでいる先生の顔をちらりと盗み見た。
そのまま続けて時計に目を遣れば、時刻は18時を回っていた。

「あ、先生、劇……は?」

ステージ上で倒れてしまったことを思い出し、慌てて起き上がろうとすると、先生は俺の頭を押してベッドに戻す。

「皆心配してたぞ、沖田君のこと。あの後大串くんが代役務めさせられてやんの」
「ははっ。土方さん、結局貧乏くじ引いてらァ」

劇中の告白のことを、自分から話題に出すことは出来なかった。
舞台裏でセットを支えてた近藤さんが、俺が倒れたせいで慌ててステージ上に上がってきてしまい、城が有り得ない角度に傾いたこと。
土方さんが、代役なのに何故か完璧に台詞を覚えていたこと。
劇は何やかんやで好評で、賞まで取ってしまったこと。
皆が気にするな、と言ってくれていたこと。
俺たちは、不自然なくらい核心には触れないように、その周りをぐるぐると回って、笑ったり呆れたりを繰り返す。
さっき、先生が触れた額が、熱にしては不自然なほどに熱い。
今更にじんじんと痛み出してきて、少しだけ泣きそうになったら、目の前の先生が滲む。
一通り話し尽くして、一瞬の沈黙が生まれた、と思った瞬間、先生はすぐにそれを埋めた。

「どうよ、具合は」
「ぼちぼちでさァ」

先生は、さっきからちっともページの進んでいないジャンプを床に置くと、俺の方に向き直る。
それだけで、心臓は波打ったように高鳴りだし、視線も定まらずに、俺はどうしたらいいのかわからなくなる。
先生と、日常的にセックスをしていたという自分が、今ではとても信じられない。
布団越しに触れている箇所から、どんどん熱くなっていって、震えて、先生に触りたくてキスしたくてたまらなくなる。
たった一ヶ月ぽっち離れていただけなのに、その一ヶ月が今では遠く昔のことのように感じられた。
先生の温度と匂いが恋しかった。
とてもとても、恋しかった。

「沖田君さァ、劇の前に俺が止めようとしたのに無視したでしょ」
「いきなり出ないって言うわけにもいかないでしょう」
「学校行事もいいモンだろ? 責任感生まれてんじゃん」
「教師の癖にちっとも協力しなかった先生に言われても説得力ねェや」

苦笑いしながら、先生は俺に体温計を手渡すと、ずり下がった眼鏡を人差し指でくいっと上げた。
一瞬見とれて、呼吸すら忘れてしまった自分が嫌になる。

「本当に、俺が責任感で劇に出たと思ってるんですかィ?」

俺がそう問うても、先生は何も答えない。

「俺は、そんなに真面目でも、クラス思いでもありやせんぜ」

先生と出会って咲いた俺の花が枯れる時は、今かもしれない。
先生と出会って輝いた星が落ちる時は、今かもしれない。
勝手にどんどん大きくなって、先生、俺もう自分じゃ制御出来ねェの。

「先生落とすためなら、たかがクラスの出し物なんてどうだっていいんでさァ、俺には」
「沖田君は、いい子だよ」
「な……っ、違……」
「どうでもいいと思ってるヤツが、毎晩遅くまで残って練習すんのか? あんだけ敵視してた土方に代役頼むのか?」

いつだって先生は、俺の何歩も何歩も先を行ってて嫌んなる。
毎日の練習と、毎晩、先生を思ってほとんど眠れない夜を過ごすことで、俺の体力は次第に削り取られていった。
出来るなら、最後まで演じたかった。
ただの気まぐれだとしても、先生が見たいと言ってくれて嬉しかった。
慣れない、クラスの皆からの期待がくすぐったくて、だけど少しだけ誇らしかった。
先生と出会う前を紀元前って言いたいくらい、どんどん先生が俺を変えて行くんですぜ。
本番前日、積み重なる疲労に、ついに身体は悲鳴をあげ、俺は三十八度を超える熱で倒れてしまった。
恥を忍んで土方さんに電話して、もしもの時の代役を頼んだ。
始めは渋っていた土方さんも、本気で頼んだらわかってくれた。
本番当日、土方さんには治ったと嘘を吐いた。

「全部、知ってたんですねィ」
「たりめーだろ。俺を誰だと思ってんだよ」
「止めないでくれて、ありがとうございやした」
「止めたって聞かねー癖に」

先生はふ、とおかしそうに笑うと、俺の頭をぽんぽんと優しく撫でる。

「沖田君は、いい子だよ。そういうとことか、全部、たまんなく愛しいと思ったから今お前と向き合ってんだろ」
「え……?」

先生の言葉を噛み締める暇もなく、腋に挟んだ体温計が、ピピピと無機質な音を立てる。
三十七度五分。
まるで、先生にイカれたまんまの俺の平熱みたい。

「熱下がってんじゃねーか。こんなに、身体熱いのに」

先生が、俺の手を掴んで意味ありげに笑う。
一ヶ月、離れていたって、やっぱり先生は先生のまんまだ。
悔しいけど、今は乗ってやる。
最高に幸せな気分だから、自分から乗っかってやりまさァ。

「あんたに欲情してんだって、わかってて言ってんでしょう?」

俺の手を掴んだまんまの先生の手を、そっと頬に寄せて笑うと、先生もつられて笑う。

「で、どうして欲しいの?」
「キスして下せェ」
「お安い御用」

先生は、俺の唇にそっと触れると、そんだけでいいのか? と次の言葉を促す。

「傍に、居て下せェ。ずっと」
「あぁ」

ちらり、と先生を見やれば、かち、と何かがはまったように視線が絡む。
それを合図に先生はきつくきつく俺を抱き締めた。

「せんせい」
「どしたの?」
「俺、幸せすぎて泣きそ」

何度も何度も、角度を変えながらキスをして、ベッドの上に倒れこむ。
その度に、火照った身体は更に熱くなって、俺の頭をおかしくさせてゆく。
一ヶ月ぶりに触れた先生の肌は、いつもみたいに冷たくて、甘かった。
ただ、一個だけ、一ヶ月前と違ったのは、先生の目にちゃんと俺が映っているってこと。

「……あ、ぅ。く、は……っ」

指を絡めて、一つになれば涙が零れた。
心の伴ったそれは、今までの何倍も愛おしくて、少しだけ切ない。

「ん……っ、ふっ……。せんせ……」

ほぼ同時に絶頂に達すると、肩で息をする先生が俺の上に覆いかぶさってくる。
その重さが、何よりも何よりも愛しくて、愛しくて。

「先生。どうして俺に、主役なんかやらせたんですかィ?」

小さな不安を押し込めて訊ねたら、先生はあぁ、とおかしそうに笑った。

「何つーか、確信?」
「意味がわかりやせん」
「沖田君にやらせれば、俺落とすために躍起になってやるだろうと思って」
「やっぱアンタ、ムカつきまさァ」
「ま、本当に落ちちまうとは夢にも思わなかったけど」

心の奥で、大きな花が咲いたような気がした。




 

 

 


+++++++++++++++++
無名英雄のイト様への相互お礼銀沖です。

大変遅くなってしまい申し訳ないです……。
ジョバイロの歌詞に萌えていた時、イト様がジョバイロでイラストを描かれていたのを見て、物凄くテンションが上がったことを覚えています!
この小説はそのテンションのみで出来ているといっても過言ではないほどです!
無駄に長くなってしまい、申し訳ないです。
あんなに素敵なイラストと漫画を頂いてしまったのに、こんなのもを押し付けてしまって良いのか、未だに自問自答しておりますが、良かったら持って帰ってやって下さいませ。
それでは、相互リンクありがとうございました!
これからもよろしくお願いいたします。

Push Over     西川柚子

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