第十話 DON'T TELL A LIE.
「十八位か……」 沖田は保健室のベッドに横になり、小さく呟いた。 体調が悪いわけでも熱があるわけでもなかったが、頭痛と腹痛が、と少しだるそうな顔をすれば、保健室の教諭はすぐに沖田をベッドにあげてくれた。 嘘を吐くのは得意だった。 今までも何度か、単位を落とさない程度にこうして嘘を吐いて嫌いな授業をここで過ごしたりしていた。 テストのために勉強を始めてから、睡眠は十分に取れていなかった。 身体は疲弊し切っている。 しかし、頭の中を目まぐるしく色々な考えが駆け巡りは消えてゆき、とても眠れそうにはなかった。 沖田は自分の鞄から古典のノートを引っ張り出し、適当にページを開く。 まっさらだった古典のノートは、今や先生に色づかされてしまった自分のようにに、ぎっしりと文字で埋め尽くされている。 悔しいと思った。 あんなに真っ白でまっさらで、1ミリのけがれもなく、開いたことさえ、なかったのに。 今やもう、真っ黒に汚れて、何度も何度も開いてしまったせいで表紙すらしわしわだし、あと十ページくらいしか残っていない。 俺だってもう、どうしたら先生揺らせるか考えて考えて、先生の一挙手一投足にどきどきしたりうろたえたり嬉しかったり不安だったり。 こんなの、本当の自分ではないはずだったのに。 沖田は布団を頭から被り、目を閉じた。 先生とのことを、思い出せば思い出すだけ、諦められないという気持ちが強くなる。 好きなのに。 本当は、一日中先生のことを考えても考えたりないくらい、好きなのに。 どうして自分は、生徒なのだろう。 どうして先生は、先生なのだろう。 どうしようもない壁にぶち当たった沖田は、そこで思考を止めた。 「失礼します」 静かな部屋に聞き覚えのある声が響く。 「坂田先生? どうしたんですか?」 「うちの沖田が寝込んでるって聞いて」 「あぁ、左側のベッドに居ますよ」 どくん、と心臓が大きく高鳴り、そのままめちゃめちゃに鼓動が打ち鳴り出す。 先生が、会いに来た。 他の誰でもなく、自分に。 保健教諭がベッドを指差すと、坂田は沖田以外の生徒が居ないのを確認し、申し訳なさそうに口を開いた。 「すいません、少し席を外して貰えます?」 「あ、はい」 坂田は保健の教諭を保健室の外に出し、沖田の横たわるベッドのカーテンを一気に開き、脇に腰掛ける。 しかし沖田は、頭に布団を被ったまま、坂田の顔を見ることが出来なかった。 「すげェじゃねーか」 布団越しに頭を撫でられ、沖田は思わず泣きそうになる。 あぁ、この一言とこの感触がほしくて、頑張れたのかもしれない。 だがしかし、一位は取れなかったのだ。 「せんせい」 震える声で布団を被ったまま言うと、坂田が布団に耳を近付ける。 「すいやせんね、俺のせいで迷惑かけて」 「生徒なんて教師に迷惑かける生き物だろーが」 「あと、やっぱ一位取れやせんでした」 「18位だろ? こんな一気に席次上がんの、学校始まって以来だってよ」 「でも、一位は取れやせんでした」 「十分だっつの」 「だから……」 沖田はようやく布団から顔を出し、起き上がると坂田を真っ直ぐに見つめる。 直接顔を見てしまうと、また決心が少し鈍った。 嘘を吐くのは、得意だった。 得意なはずだ。 だけど今は声も出ない、言葉も紡げない。 はやく。 早く言わなければ。 もう、諦めると。 もう、先生のことなど好きではないと。 「先生のことは……諦めまさァ。それに、死ぬ気で勉強したら気も抜けちまったっていうか……」 上手く、言えたはずだ。 反らせない視線も強引に反らして、零れそうな涙も必死に堪えた。 震える声は仕方が無い。 これくらい、気付かない振りして見過ごして。 しかし坂田は、納得のいかない様子で口を開く。 「沖田君さァ、俺のことこんなにしといて、今更逃げんの?」 「え……?」 沖田が坂田の言葉を認識するよりも先に、坂田は沖田の手を取り、自分の胸にあてる。 「どうしてくれんの、コレ。俺もういい大人よ? それなのにさァ、高校生に戻ったみたい」 確かに掌に伝わる強い鼓動に、沖田の目から涙が零れ出す。 「沖田君が触ってるだけで、先生こんなになっちゃうわけ。わかる?」 沖田が小刻みに頷けば、坂田は沖田の涙を親指で拭い、あやすように頭を撫でる。 「悪ィね。もう生徒と教師に戻んの、無理みたい」 坂田が震える手で沖田を抱き締めれば、沖田も坂田の背中に腕を回す。 「先生、嘘吐いて、すいやせん」 「わかればよろしい」 きつく抱き締められる腕と、頭を撫でる柔らかい感触に、最上級の幸せを感じた。 古典のノートが、ベッドの下にぱさりと落ちた。
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