第五話 THE LAST RESORT IS USED AT THE END.
「あれ? 先生どうして耳たぶ赤いんですか?」 坂田は、職員室に訪ねてきた女生徒に指摘され、思わず耳を押さえる。 銀色の髪に好く映えた真っ赤な腫れに、女生徒は意味ありげに視線を向けた。 「あ、これ虫刺されだから! 先生虫にまで好かれちゃうからなァ」 耳を押さえたままあたふたと答える坂田に、お盛んですね、と少々軽蔑を含んだ口調で言い捨てると、女生徒はプリントを押し付けて去っていった。 「……アノヤロ」 女生徒の後ろ姿を見送りながら、坂田は小さく安堵の溜息を吐き、呟いた。 耳たぶがじん、と痛む度に、ぺろりと舌を出した沖田の顔が頭に浮かぶ。 これでは全て、沖田の思う壺ではないか。 「まだまだ青いな、俺も」 でもまだ、乗ってやらない。 坂田は頭に浮かんだ沖田の顔を消して小さく笑うと、もう一度耳を押さえた。 ガタン、と静かな教室に響いた物音に、教室中の視線が集まった。 この時、坂田の顔色も変わったのを、山崎は見逃さなかった。 「オイ総悟! 大丈夫か!?」 倒れた沖田に真っ先に駆け寄った近藤が呼びかけても、沖田は何も答えない。 ざわざわとどよめく生徒達が、心配そうに近藤に抱えられた沖田を見る。 坂田は、自分にも言い聞かせるように口を開いた。 「オイ、皆落ち着け。近藤、沖田を保健室連れてってやれ」 「ハイ」 近藤は沖田を背負うと、物凄い速さで教室を飛び出した。 しんとした教室に、遠ざかってゆく近藤の足音だけが響く。 坂田は変わってしまった教室内の空気を再び戻そうと、手をパン、と叩いた。 「はァい、授業に戻るぞ」 坂田の言葉に、生徒の群れの中からあからさまな溜息が漏れた。 「オイオイ、寝てただけだって?」 「先生こそ、5つも訳間違えたって?」 「誰に聞いたんだよ」 「さっき、山崎に」 坂田は保健室のドアを閉めると、沖田の横たわるベッドの端に腰をかけた。 「何、沖田くんの気持ちは公認なワケ?」 「いいえ、山崎しか知りやせんぜ」 真っ直ぐに自分を見つめる沖田とどうにか視線をかち合わせないように、坂田は下を向きながらぼそぼそと話す。 「寝るなら家で寝ろ、家で」 「最近忙しくてですねィ、寝れてねーんです」 「何を忙しいことがあんだよ」 「知ってて、そーゆうこと訊いてんの?」 沖田の質問に坂田は口ごもり、二人の間に沈黙が生まれる。 静寂が訪れる度に、坂田の心音は速さを増して鳴り続ける。 沖田も、自分の鼓動を悟られないようにすぐに話題を変えた。 「先生が、うろたえてくれたってだけで、俺ァ嬉しいんです」 「そりゃァ生徒を心配しない教師なんて居ねェからなァ」 「ほら、またそうやって逃げる」 下を向く坂田の顔をぐりんと覗き込み、小さく笑う沖田と坂田は決して視線を合わせまいとそっぽを向いた。 眼を合わせたら、全てが終わる気がした。 世界が、変わってしまう気がした。 「別に逃げちゃいねーよ」 「じゃあ、俺の眼を見てそう言ってくだせェ」 沖田が坂田の腕を引き、少々強引に視線を合わせると、二人の周りに強い風が吹いたような錯覚に陥る。 全ての音は遠くなり、二人の心音だけが世界を形作る。 坂田は慌てて眼を反らしたが、全てがもう手遅れだった。 「先生、見たでしょう?」 「何を?」 「見てないとは、言わせないでさァ」 掴んだままの腕を引き寄せ、沖田は坂田と共にベッドに倒れこむ。 「先生あいしてる」 ぎこちない言葉が、ついに坂田の心を揺らした。
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