まぶたの裏
薄暗い部屋で交わす口付けが、二人の距離を近付ける。 ゆっくりと開いた眼で見たものは、まぶたの裏に居た顔と同じだった。 息がかかりそうなくらい、接近した顔が照れ臭くて、二人は同時に吹き出した。 秘密の場所。 秘密の関係。 秘密の逢引。 埃っぽい空気が二人の間を満たせば、世界は全て黄金色に変わる。 暮れかけた太陽が、カーテンの隙間から覗いている。 差し込んだ日差しが、二人を照らす。 たった一度の口付けが、二人の世界を揺らした。 「先生、良かったんですかィ?」 「ンな野暮なこと訊くんじゃねーの」 沖田が時計を見ようと上を向けば、背もたれにしていたロッカーに頭をぶつける。 頭を擦りながら苦笑いをすると、銀八が沖田の目の前に腕時計をつけた左腕を突き出した。 「沖田くんこそ、帰んなくていいの?」 「先生は帰って欲しいんですかィ? ンな野暮なこと訊かねィで下せェ」 銀八の時計の針は、十八時を刺していた。 そろそろ部活も終わる時刻。 部活、という単語で、沖田は近藤と土方の顔を思い浮かべてしまい、すぐに消した。 今くらいは、非現実な世界に酔っていたかった。 「生意気なトコは変わんねーんだな」 「先生こそ、その死んだ魚みてェな眼、全然変わってねィですぜ」 「キスの後くらい、素直になれねーの?」 「キスの後くらい、もっといきいきした顔して下せェ」 ああ言えばこう言う、状態の沖田に、銀八は苦笑して、沖田の頭をがしがしと撫でた。 「まァ先生、それが沖田くんの可愛いトコだって、ちゃんとわかってるけど」 その台詞で、言葉を詰まらせてしまった沖田に、銀八はしてやったり、というような表情を浮かべると、ズボンについた埃を掃いながら立ち上がる。 「先生はずるいですねィ。あんなキスしておいて、すぐに俺を子ども扱いするなんて」 「大人はずるいもんなんだよ。そうじゃなきゃ、やってけねーの」 「ふぅん」 沖田は腑に落ちないような顔をして銀八の腕を掴んで立ち上がる。 そして、唇に人差し指をあてて、つい先ほどのキスのことを思い出す。 「じゃあ、俺も早く大人になりてェや」 「意外だねェ。ガキのままでいいって言うかと思ったのに」 「だって、そうじゃなきゃ先生に追いつけねェでしょう?」 終始リードされっぱなしだったのがよほど悔しかったらしく、今度は沖田の方から銀八に唇を寄せた。 少し背伸びをして、太い首に腕を巻きつけて。 煙草臭い唇に吸い付いた。 眼を閉じたら、まぶたの裏にも銀八が居た。 「別に追いつこうとしなくていいんじゃねーの?」 「どうして」 「ガキの時くらい、大人しく先生に守られときなさい」 「教師らしくないって思ってたけど、やっぱり先生そういうとこは教師なんですねィ」 「当たり前だろ。ちゃんと教員試験受けたっつーの」 「淫行教師、ですけどねィ」 「まだヤってねーだろが」 銀八の言葉に、沖田はくすくすと笑いながら、銀八を見た。 表情は崩れていたが、眼だけは笑っていなかった。 自分を誘っているかのようなその眼に、銀八は小さく身震いをする。 これ以上、関わるべきではないのかもしれない。 「次二人で会うときは、俺と犯罪者になってくだせェ」 「仕方ねェな」 しかしそんな考えも、沖田の一言ですぐに消えてしまう。 「じゃあ、また明日」 「気ィつけて帰れよ」 「へーい」 ぱたぱたと音を鳴らし、沖田は廊下を走って消えた。 深呼吸をして、ゆっくりと瞳を閉じればまぶたの裏には沖田が居た。 しばらく焼きついて離れそうにないその顔に、銀八は次の逢引きに思いを馳せた。
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